Pâlir 青褪めた

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#606母校のこと2010.12.19
 何だかちょっと懐かしくなったのでつらつらと

 人と母校の話をちょろっとする機会があって、色々思い出すことがあり
 思い出すにつけ、そういえば風変わりな学校だったのかなァとも思うのですが、自分はそれが当たり前だったので風変わりの深度がよく分かりません

 たとえば、母校は美術系の学校だったので、何と言うかこう 全員がある程度一つの、同じ方向を向いていたんですね
 最終的にそれが趣味になろうが仕事になろうが、手を動かして作るものは「尊い」ということを皆分かっていたし、殆ど本能的に知っていたし、そういう特別なものがこの世にはあるんだということを、根っこのところで理解していました
 自分にどうしても尊重されたいところがあるから、相手のそういうところを尊重しないわけにゆかないし、結果として尊重していたというか
 雑談をするにしても、わりと絵の話をしたり漫画の話をしたり、次に何をしようか、どういう風にしていこうか、みたいな、そういう感じだったし

 あー、そういえばいわゆるいじめもなかったなァ……程度の小さいのやら、ちょっとした嫌がらせだの陰口だのはそりゃァ致し方なく一杯あったのですけど、全体対一みたいないじめはありませんでした まァ私がそういうの鈍いので気付かなかっただけか知らん
 でも、たとえあったとしても関わりない人なんかは気付かないような、軽いものだったわけです

 いまはどうか知らないし、ほかの学年はまた違ったのかも知れないけれど
 加えて、大学は外部の人が増え過ぎてそんな校風もよほど薄くなってしまっていたけれど
 中学高校は大分濃かったな
 クラスの人たちの絵は、皆お互いにどういうものか把握していたし、学年のうちで誰が巧いかも知っていたし
 そういう意味では相当特殊だったのではあるまいか

 それと面白かったなと思うのは行事かなァ 運動会と前夜祭、文化祭
 運動会の応援団というのが、うちは声援じゃなくて踊りなんですね
 選曲をし編曲をし、振り付けを考え衣装を作り、中学高校それぞれ三学年がクラスごとに固まって演ずるという
 中学生はさすがにそこまでの完成度はないのですけど、高校生は凄かった
 私は参加したことはなかったのですけど、衣装係とかはやっていました 自分の手ではなく同居人の手を借りていたものの
 文化祭もねェ、なまじ物を作るところだから出し物が妙にクオリティ高くてね……材料は切なくダンボールとか紙とか、そういうどうしようもないものだったのだけど、作りはそこそこしっかりしてたような
 一番酷いのが前夜祭で、どうしようもなくふざけているものとか、先生を小ばかにしたような出し物とかがたくさんあり
 目の前で先生が座って観覧しているのに、その先生の目の前でそれをやるんですよね
 生徒の名前も分かっているのだけど
 でも先生もそれを見て大笑いして、さすがに酷くないか!? とか言ってウケているわけです
 小ばかにする方にしたって愛があったしね
 その辺は本当に良い学校だったなァ
 もちろんほんとに嫌われている先生や冗談の通じない先生もいたけれど、一人二人という感じだったし

 あとあれだ
 おたく率はものっそい高かったです
 私たちのいっこしたの学年が特にすさまじかったのですが、後輩に訊いたら「真性の大っぴらなおたくが6割、隠れおたくが2割、潜在的おたくが1割」とか言っていました
 学年の9割がおたくでしたってよ
 私たちのとこは、教室で誰かが「○○のイベントいつだっけー?」と言うと、
 「○月○日ー、印刷所の〆切近いから気をつけなよー」とか必ず答える声がありました
 あと印刷所の見本紙持ってる人が何人かいたな
 教室で原稿してる人もたくさんいました
 じつに懐かしい

 私の言う母校というのは、中学から大学まで通った某美術学校で、まァ美術系の一貫女子校というと一校しかないので何をかいわんやなのですが

 今日は何周年かの記念で、なんでも鑑定団が来ていたそうです
 行き損ねてしまった……
 でもあんなの、学長がぽいっと自作を持ってきたらそれだけでいくばくかのお値段が出ちゃうだろうになァ
 どんな塩梅だったのだろ 
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